この夏から、千葉県の岩井(南房総市)と渋谷の二拠点生活をしています。
最初は「渋谷5:岩井2」の生活だったのが、この夏から「渋谷1:岩井6」まで逆転してきてしまいました。渋谷が別荘となってしまい、(とても)高い家賃を払うのもバカらしくなってきて、手放そうかと真剣に検討しています。日焼けもし、髪も伸びて、すっかり人相も変わり、東京で会う人たちに驚かれたりもします。
岩井での活動が増えたことにはいくつかの理由があります。もちろん、SHIP(SHIBUYA IWAI PARK)の再生事業がやることが山積みすぎるし、リモートワークでは解決できないTODOで溢れているため、物理的に「そこにいる」必要があります。ヤギの世話も大切な仕事で、それはスマホではやはりできないのです。
(草を食べる山羊のシー)
あとは、岩井で暮らすことになんら不便がない、ということもあります。本格的に移住する前は「東京にいないと不便だろうなぁ」と思っていたのですがほとんどありません。岩井にはコンビニも薬局もスーパーもあります。この辺は、チェーン店のすばらしさを噛み締めています。たまに、牛丼が恋しくなるくらいです。恋しくなったら、75分くらいで車で東京にくることもできます(この近さが、岩井の価値でもあるわけですが)。
そして何よりも、「岩井にいると気持ちが落ち着く」ということがあります。岩井海岸という美しい海があり、静かで、土地にもゆとりがあります。岩井にいる人たちはとても穏やかで優しく、いつも犬の散歩やら畑仕事をしながら暮らしています。物々交換をしたりと助け合いながら生きています。そこに「地方だから」という悲壮感はほとんど見当たりません。
方や、渋谷は本当に豊かなのだろうか、という思いは以前よりも強くなりました。家賃は高いし、人は多いし、同じようなビルばかりが立ち並び、空も星もあまり見えません。常に他人と比べてしまう。「競争」を大義に疲弊する人々が多くいます。
なんでもあるようで何もない。何もないというよりは、大切な何かが圧倒的に欠落しているように思えます。椎名林檎が21歳くらいで歌ったように「東京は愛せど何もない」が言い当ててすぎて、39歳にしてその凄さに驚きます。
岩井で海を眺めながらそんなことを考えていると、「地方創生」なんて言葉が、とてもバカらしく不自然なものに見えてきます。地方創生という言葉をそのまま使う人も、今はあまりいないとは思うのですが、その概念自体は今も残っていると感じています。つまり「都市から地方を救おう」というような空気です。東京で行われいてる「地域を盛り上げよう」みたいなトークイベント自体がなんだか歪つなものに思えます。
何が地方創生だ。ろくに星も見えないくせに。
波の音も聞こえないくせに。